評     価  

 
       
File No. 2894  
       
製作年 / 公開日   2017年 / 2018年11月17日  
       
製  作  国   アメリカ  
       
監      督   デヴィッド・ロウリー  
       
上 映 時 間   92分  
       
公開時コピー   自分がいなくなった世界で、残された妻を見守る
一人の男の切なくも美しい物語
    
これは、記憶の旅の物語
 

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ケイシー・アフレック [as C]
ルーニー・マーラ [as M]
 
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あ ら す じ    アメリカ・テキサスの郊外、小さな一軒家に住む若い夫婦のCMは幸せな日々を送っていたが、ある日夫・Cが交通事故で突然の死を迎える。妻・Mは病院でCの遺体を確認し、遺体にシーツを被せ病院を去るが、死んだはずのCは突如シーツを被った状態で起き上がり、そのまま妻が待つ自宅まで戻ってきた。
 Mは彼の存在には気が付かないが、それでも幽霊となったCは、悲しみに苦しむ妻を見守り続ける。しかしある日、Mは前に進むためある決断をし、残されたCは妻の残した最後の想いを求め、彷徨い始める・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    CG全盛の今の時代に、なぜ頭からシーツを被った一昔以上も前というイメージがある幽霊なんだ?しかも、両眼のところだけシーツが切り取られてるし。ギャグ映画でもないのに、ちょっと滑稽だろう・・・・・なんて思いながら、ルーニー・マーラの名前に釣られて観てしまった。主演のケイシー・アフレックは元々口数が少ない上に、幽霊になってしまっては一言も発しないという、主演のセリフがこれほど少ない作品も珍しいだろう。
 コピーには“自分がいなくなった世界で、残された妻を見守る”とあるが、これは内容を的確に言い表しているとは言えない。彼はまさに地縛霊となり、妻・Mが家を引き払った後も、全く無関係な入居者を見守り、果ては家が取り壊されてビルが建てられても、そのビルに居座るのだ。これをもって、一体この作品は何が言いたいのだろうか?なんて思っていたら、急に時間軸がCとMの入居当時に遡る。そして、幽霊となったCは、生きている自分を目の当たりにすることになるのだ。そうなると、Cが死んだ後に、Mえを見守る幽霊が2体になってしまうという矛盾が生じるのでは?と危惧したら、驚くべき事に最初に幽霊になったCに、新たに幽霊となったCが加わって、2体の幽霊がMを見守るシーンが描かれていた。「これは、もしかしてここから面白くなるんじゃ?」なんて期待もむなしく、2体の幽霊が登場するのはたったワンカットのみ、しかもわずか数秒程度のみだった。
 と言うわけで、端的に結論を言うならば、「自分が観るべき作品ではなかった」といったところだろう。おそらく、4:3のアスペクト比のスタンダード・サイズと思われる映像の、さらに4隅を角丸に削ったスクリーンが何を意図しているのかはもちろん、主人公夫婦以外の人物の言動をもって観客に何を言いたいのかもわからない。私にはそれらすべてがただ意味不明な映像としか映らず、残念ながら自分にはこの作品を理解する力や想像力に乏しいのだという自虐的な結論に至らざるを得ない。さらに言わせてもらうなら、私のような人間にとっては、睡魔と戦わせるのがこの作品の主目的だという、監督の悪魔的な意図があったとしか思えない。
 向かいの家に同じく縛られているのであろう、女性の幽霊の存在も、その意味を考える余裕なんて無い。唯一わかったことと言えば、CとMが眠る深夜に聞こえたピアノの音の正体くらいだろうか。ラストシーンをああいう幕切れにさせた、Mの残したメモの内容が気になるところだが、何のヒントも種明かしもないから、彼女がパイを食べていた嘔吐するシーンから、「彼女が妊娠して、Cはもう彼女を見守る役目として自分は不要になった、と悟ったから」と勝手に解釈するほかはなく、それが正解かどうかを確かめる術すらない。