評     価  

 
       
File No. 2977  
       
製作年 / 公開日   2017年 / 2019年04月05日  
       
製  作  国   イタリア  
       
監      督   パオロ・ジェノヴェーゼ  
       
上 映 時 間   101分  
       
公開時コピー   欲望の代償は、他人の運命。  

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最初に観たメディア  
Theater Television Video
 
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キ ャ ス ト   ヴァレリオ・マスタンドレア [as 男]
マルコ・ジャリーニ [as エットレ]
アルバ・ロルヴァケル [as 修道女キアラ]
ヴィットリア・プッチーニ [as アッズッラ]
ロッコ・パパレオ [as オドアクレ]
シルヴィオ・ムッチーノ [as アレックス]
シルヴィア・ダミーコ [as マルティーナ]
ヴィニーチョ・マルキオーニ [as ルイージ]
アレッサンドロ・ボルギ [as フルヴィオ]
サブリナ・フェリッリ [as アンジェラ]
ジュリア・ラッツァリーニ [as マルチェラ婦人]
 
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あ ら す じ    ローマのビジネス街に佇むカフェ“ザ・プレイス”は常に客で賑わう繁盛店。その中で、店内の騒々しさをまるで気にする様子もなく、いつも奥まった同じテーブルに席を構えて一日中座っている謎の“男”がいた。彼の名前は誰も知らなかった。その男の元には入れ替わり立ち替わり人生に迷った相談者たちが訪れる。そして、自らの願いや欲望を男に打ち明けていく。
 男は話を聞きながら、まるで調書を取るかのように黒革の厚い手帳へ記録し、相談者の話が終わるとノートを閉じて口を開く。男が相談者へ告げるのは無理難題な課題で、「実行すれば望みは叶う」と言う。それを遠巻きに見ているカフェ店員のアンジェラは、会話こそ聞こえないものの、謎の男に興味を抱いている様子だった。
 女にだらしない息子を持つ刑事エットレは息子を更生させる代償として女性からの被害届をもみ消せと指示され、アルツハイマーの夫を治したい老婦人マルチェラには人が多く集まる場所に爆弾を仕掛けるよう伝え、癌を患った息子を救いたいと願うルイージには幼い少女を殺せ、神の存在を感じることができなくなった修道女キアラには妊娠せよと。
 さらには、美人になりたいマルティーナには強盗を、彼女の恋人アレックスには父親から自由になりたいならマルティーナの強盗を手伝うように伝え、ピンナップガールと一晩関係を持ちたいオドアクレには見知らぬ少女を救え、盲目の男フルヴィオには視力と引き換えに女を犯せ、夫に相手にされなくなったアッズッラには別のカップルを破局させろと。
 ある者の願いは叶い、男はその者の事を書いたページを手帳から破り、火をつけて燃やす。一見別々に見える9人の運命は、男の手によって次第に複雑に交錯していくのだった・・・・・。
 
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たぴおか的コメント    上のあらすじを読んでも、誰がどういう理由で何を課せられたかを把握することはためには、何度か読み返す必要があるはず。相手が2〜3人ならともかく、9人もいたら一読しただけで覚えられるものじゃない。ところが、映画の場合は時間を戻して確認するなんてことができるはずもなく、「誰が」「どういう願いを叶えるため」「どんな課題をあたえられたか」が混乱してしまった。9人の運命が交錯する以前に、観ている私の記憶が完全に交錯してしまったのだ。相談者が名前と叶えたい望みと、それに課された課題を書いた札でも首から提げてくれていれば、理解に苦しむことはないのだろうけど、そんな真似ができるはずもない。だが、相談者が男に会いに訪れる都度、例えば字幕で“エットレ:息子を更生させたい刑事”とでも注釈を入れることは可能だったはずで、それだけでも大幅な理解の助けになることは間違いない。
 もしくは、演劇じゃないんだから舞台をカフェ“the place”というワン・シチュエーションに限定せず、相談者たちの行動を会話ではなく映像で知らしめる、という手法も可能だっただろう。映画は観客が理解してナンボのものであって、決して監督の自己満足のために作られるべきものじゃない、その点を少しは考慮してもらいたかったものだ。これじゃ、監督のマスターベーションだと揶揄されても仕方ないのでは?
 それにしても、カフェで相談を受けて実行が極めて困難な課題を課するこの男とは、一体何者なのか?例えば、キアラとフルヴィオのケースは「女を犯せ」という指示はともかく、結末は両者共に不幸にはならないからよしとしよう。だが、「幼い少女を殺せ」だとか、果ては「人の集まる場所に爆弾を仕掛けろ」などと、明白な犯罪行為を課するとは言語道断、正直観ていて不愉快にさえ思えた。